

文化・芸術(ぶんか・げいじゅつ)
酒井三良(さかいさんりょう)
地域(ちいき):
会津地域(あいづちいき)市町村(しちょうそん):
三島町(みしままち)カテゴリー:
文化・芸術(ぶんか・げいじゅつ)生没年:
1897~1969時代:
明治(めいじ)~昭和(しょうわ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
大沼郡三島町に生まれました。大正3年(1914年)より日本美術院(びじゅついん)の研究所生として本格的(ほんかくてき)に日本画を学び始めました。大正8年(1919年)、第2回国画創作協会展(こくがそうさくきょうかいてん)で『雪に埋もれつつ正月はゆく』が入選(にゅうせん)、つづく大正10年(1921年)の第8回院展(いんてん)で『災神(さいのかみ)を焼く残雪(ざんせつ)の夜』も入選し、その名を知られるようになりました。
大正13年(1924年)に美術院同人(びじゅついんどうじん)となり、以後は美術院の中心的画家の一人として活躍(かつやく)しました。
三良(さんりょう)は生涯(しょうがい)にわたり、日本の豊かな自然とそこに生きる人々の姿を、親しみやすくいきいきとした画風で描(えが)き続けました。
資料・他(しりょう・ほか)
『郷土を描き続けた画家 酒井三良』(三島町交流センター企画展図録)『ふるさとを描きつづけた画家 酒井三良』(三島町交流センター企画展図録)
主な業績(おもなぎょうせき)
- 27歳の時、日本美術院の最年少同人(当時)となりました。
- 55歳の時、在京美術家連盟を立ち上げました。
- 61歳の時、日本美術院評議員(ひょうぎいん)となり、64歳で監事(かんじ)となりました。
- 65歳の時、「かまくら」を出品し、文部大臣賞を受賞しました。
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
- 横山大観(よこやまたいかん)・小川芋銭(おがわうせん)・安田靭彦(やすだゆきひこ)・前田青邨(まえだせいそん)・奥村土牛(おくむらとぎゅう)という日本美術院同人たちと親交をむすび日本美術の発展につとめました。
- 三良がのこした作品は全国各地の美術館などに数多く展示されています。
関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
- 三島町教育委員会
〒969-7511 大沼郡三島町大字宮下字宮下350 電話:0241-48-5599
現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)


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