

その他(そのほか)
菅野八郎(かんのはちろう)
地域(ちいき):
県北地域(けんぽくちいき)市町村(しちょうそん):
伊達市(だてし)カテゴリー:
その他(そのほか)生没年:
1813~1888時代:
江戸時代(えどじだい)~明治(めいじ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
八郎は江戸時代後期に金原田村(かなはらだむら)【現在の伊達市保原町】の農家の長男に生まれました。若くして名主代(なぬしだい)をつとめるなどすぐれた人物でした。けれども農民という身分で、外国勢力(せいりょく)をおそれる幕府(ばくふ)の姿勢(しせい)を批判(ひはん)したため、八丈島(はちじょうじま)へ島送りになってしまいました。
数年で罪(つみ)をゆるされ故郷(こきょう)に戻った八郎は、民衆(みんしゅう)を苦しめる政治を目の当たりにし、人々を救うため自衛組織(じえいそしき)をつくり、剣術の稽古(けいこ)を始めました。これが災(わざわ)いして、当時起こった農民一揆(いっき)【暴動(ぼうどう)、打ち壊し】の中心人物にされてしまい牢(ろう)に入れられてしまいました。しかしすぐに明治維新(めいじいしん)となり釈放(しゃくほう)されました。
八郎は多くの著作(ちょさく)を書き残しています。その内容は、どうしたら平和な社会がつくれるのか、親孝行にはどんな道があるのか、などが中心となっていました。
資料・他(しりょう・ほか)
『信達騒動記』『信達騒動実記』
各市町村史の他、高校の教科書に取り上げられています。
主な業績(おもなぎょうせき)
- 孝行の道を民衆におしえました。
- 政治にたいして民衆の関心をもたせました。
- 多くの著作をのこしました。
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
- 為政者(いせいしゃ)にたいして自由に発言できる民衆を育てました。
- 民衆は暴政(ぼうせい)や暴力にたいして立ちむかうようになりました。
関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
- 生家跡(せいかあと)
- 自刻の碑(じこくのひ)【安政(あんせい)4年】
- 墓(はか)
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
伊達市保原歴史文化資料館 電話:024-575-1615現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)


- 川前愛宕獅子舞(かわまえあたごししまい)
- 北又の獅子舞(きたまたのししまい)
- 新田愛宕神社の獅子踊(にったあたごじんじゃのししおどり)
- 女神山(めがみやま)
- 蠣崎波響(かきざきはきょう)
- 下手渡藩天平陣屋跡(しもてどはんてんだいらじんやあと)
※関連(かんれん)する項目(こうもく)を表示(ひょうじ)しています。
クリックするとその項目のページへジャンプします。