福祉・慈善事業(ふくし・じぜんじぎょう)
川崎弥助(かわさきやすけ)
地域(ちいき):
県南地域(けんなんちいき)市町村(しちょうそん):
西郷村(にしごうむら)カテゴリー:
福祉・慈善事業(ふくし・じぜんじぎょう)生没年:
1789~1861時代:
江戸時代(えどじだい)~江戸時代(えどじだい)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
天保(てんぽう)年間(1830~1843年)のときの飢きん(ききん)で、多くの餓死者(がししゃ)や病人が出ました。そのとき、川崎弥助(かわさきやすけ)は金600両とアワ・ヒエなどを白河のお殿様(とのさま)に献上(けんじょう)し、多くの人たちが飢え(うえ)から救われました。このことにより天保(てんぽう)7(1836)年に西郷代官(にしごうだいかん)に任命(にんめい)されました。その後も良い政治を行ったので、村民から心よりしたわれました。
資料・他(しりょう・ほか)
『西郷村史』『西郷村社会科副読本 DATABOOK』
『谷樵夜話』
『救民代官 川崎弥助翁』
主な業績(おもなぎょうせき)
天保4(1832)年、白河藩主阿部正暸(あべまさあきら)の求めにおうじ70両を御用金(ごようきん)として出し、600両を救済金として勘定所にさし出しました。この功績により、家臣にくわえられ、知行60石で勘定奉行次席(かんじょうぶぎょうじせき)となり、後に西郷代官(にしごうだいかん)となりました。のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
天保12(1841)年に弥助に感謝した村々の百姓(ひゃくしょう)が、報徳碑(ほうとくひ)を立てました。関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
- 川崎弥助報徳碑
天保12(1841)年、弥助に感謝した村々の百姓によって建てられました。
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
- 西郷村教育委員会
生涯学習課
電話:0248-25-2371
現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)
- 阿武隈川源流の雄滝・雌滝(あぶくまがわげんりゅうのおだき・めだき)
- 楽翁渓(らくおうけい)
- 田土ヶ入水芭蕉自生地(たどがいりみずばしょうじせいち)
- 上羽太天道念仏踊り(かみはぶとてんとうねんぶつおどり)
- 川崎弥助(かわさきやすけ)
- 西の郷遊歩道(にしのさとゆうほどう)
※関連(かんれん)する項目(こうもく)を表示(ひょうじ)しています。
クリックするとその項目のページへジャンプします。