

政治(せいじ)
影山庄之助(かげやましょうのすけ)
地域(ちいき):
県北地域(けんぽくちいき)市町村(しちょうそん):
本宮市(もとみやし)カテゴリー:
政治(せいじ)生没年:
1883~1967時代:
明治(めいじ)~昭和(しょうわ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
影山庄之助(かげやましょうのすけ)は、旧白沢村和田字作田に治郎八(じろうはち)の長男として1883年に生まれました。白沢村は、二本松領時代から明治になっても、水資源対策(みずしげんたいさく)でたいへん苦しんだ地域(ちいき)です。
庄之助は第16代村長だった時、干ばつに対応するため、国や県に相談(そうだん)し、阿武隈川(あぶくまがわ)から白旗山(しらはたやま)への水をあげる計画を立てました。隣り村の石井村【現二本松市】にもよびかけ陳情(ちんじょう)し、昭和19年10月に事業を認められました。
同年12月に工事が始まり、昭和24年6月に工事が終了しました。600町歩のかんがい排水事業(はいすいじぎょう)を行い、村民の長年の夢をかなえました。
資料・他(しりょう・ほか)
『白沢村史 各論編II「自然 地名 人物」第一章 村を支えた人々』273ページ『安達疎水のあゆみ』 昭和57年12月31日発行
主な業績(おもなぎょうせき)
大正2年から昭和4年までの20年間、宮内省主馬寮(くないしょうしゅめりょう)をつとめた後、福島競馬開催執行委員(ふくしまけいばかいさいしっこういいん)・和木沢信用組合理事(わきさわしんようくみあいりじ)・農地委員・農業会長・農業委員会長・森林組合長・村会議員の職をつとめ、村政発展に貢献しました。のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
この水路の開発によって、その後水不足などの問題がなくなり、農民が安定した暮らしをおくれるようになり、今の安達疎水(あだちそすい)土地改良区の基礎(きそ)となりました。関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
本宮市教育委員会現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

- 遠藤源四郎(えんどうげんしろう)
- 岩角山(いわづのさん)
- 小沼幸彦(おぬまさちひこ)
- 本田安次(ほんだやすじ)
- ちまき(ちまき)
- プリンス・ウイリアムズ・パーク英国庭園(ぷりんす・ういりあむず・ぱーくえいこくていえん)
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