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郷土開発(きょうどかいはつ)

小沼貞長(おぬまさだなが)

  • 地域(ちいき)

    県北地域(けんぽくちいき)
  • 市町村(しちょうそん)

    本宮市(もとみやし)
  • カテゴリー:

    郷土開発(きょうどかいはつ)
  • 生没年:

    1543~1610
  • 時代:

    室町時代(むろまちじだい)~江戸時代(えどじだい)

人物紹介(じんぶつしょうかい)

 元三春藩の重臣(じゅうしん)で、船引氏(ふねひきし)を名乗りました。主家(しゅけ)が絶(た)えてしまった後は本宮にうつり住み、慶長6(1601)年上杉景勝(うえすぎかげかつ)から与えられた荒地(あれち)250石をもとに、新町(しんまち)を作る計画を進めました。当時、北町だけだった本宮宿(じゅく)に、あらたに慶長13(1608)年南町を完成させ、本宮宿の発展(はってん)の基礎(きそ)をつくりました。
 のちに、貞長(さだなが)に不満(ふまん)を持つものによりうったえられ、会津奉行所(ぶぎょうしょ)にとらわれ、この時代の領主(りょうしゅ)蒲生家(がもうけ)から切腹(せっぷく)を命じられ自刃(じじん)しました。
 貞長による南町の開設(かいせつ)は、今でいう、都市計画の実施(じっし)にあたり、江戸時代「花の本宮」とうたわれた宿場町(しゅくばまち)の繁栄(はんえい)の道をひらいたといえます。

資料・他(しりょう・ほか)

『本宮町史 2巻』
『本宮町史 11巻』
『本宮地方史』
『福島県史 22 人物』

主な業績(おもなぎょうせき)

のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)

関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)

  • 小沼貞長の墓(はか)
    石雲寺(せきうんじ)

副読本(ふくどくほん)

関連文献(かんれんぶんけん)

詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)

本宮市立歴史民俗資料館

現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)

  • 石雲寺
    JR東北本線「本宮駅」下車、徒歩20分

その他(そのほか)

教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

慶長6年5月上杉家より小沼伊賀守へ荒地250石給与

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