人物"/ 県北地域アイコン

医学・科学(いがく・かがく)

菅野達生堂(すげのたっせいどう)

  • 地域(ちいき)

    県北地域(けんぽくちいき)
  • 市町村(しちょうそん)

    本宮市(もとみやし)
  • カテゴリー:

    医学・科学(いがく・かがく)
  • 生没年:

    1830~1894
  • 時代:

    江戸時代(えどじだい)~明治(めいじ)

人物紹介(じんぶつしょうかい)

 菅野達生堂(すげのたっせいどう)は、長屋桑原(ながやくわばら)、菅野織之亟(おりのじょう)の四男として1830年に生まれ、おさない頃の名前を亀治(かめじ)といいました。
 二本松藩丹波家(にわけ)の典医(てんい)に医術(いじゅつ)を学び、雲松(うんしょう)と名乗り、別名を達成堂といいました。
 漢方医(かんぽうい)を仕事とし、特に産科(さんか)において高い評価を得ました。

資料・他(しりょう・ほか)

『白沢村史 各論編II「自然 地名 人物」第一章 村を支えた人々』
 309ページ

主な業績(おもなぎょうせき)

 医業をする一方で儒学を好み、村の子どもや有志者を集めて学問、書道の授業を開いていました。力強い筆法(ひっぽう)をもち、その教え方はとても親切ていねいで、おおくの人が学びました。

のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)

 現代医学の発展と地域の子孫繁栄(しそんはんえい)と安全に貢献しました。

関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)

  • 達生堂先生碑
    1895年10月に弟子たちが、その恩にむくいるために建てました。 長屋字道法内地内

副読本(ふくどくほん)

関連文献(かんれんぶんけん)

詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)

本宮市教育委員会

現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)

その他(そのほか)

教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

関係記事(かんけいきじ)

※関連(かんれん)する項目(こうもく)を表示(ひょうじ)しています。
クリックするとその項目のページへジャンプします。

検索結果へ戻る(けんさくけっかへもどる)