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その他(そのほか)

音羽山 峰右衛門(おとわやま みねえもん)

泉崎村
  • 地域(ちいき)

    県南地域(けんなんちいき)
  • 市町村(しちょうそん)

    泉崎村(いずみざきむら)
  • カテゴリー:

    その他(そのほか)
  • 生没年:

    ~1820
  • 時代:

    不明(ふめい)~江戸時代(えどじだい)

人物紹介(じんぶつしょうかい)

 雷峰右衛門(いかづちみねえもん)は、からだが大きく、力がなみはずれて強い子どもでした。大人になって結婚してからも力士になりたいとういう夢が捨(す)てきれず、ついに別れて、江戸の相撲界(すもうかい)に入りました。その後順調(じゅんちょう)に出世して文化元(1804)年幕内力士(まくうちりきし)となり、6勝1敗1預かりの好成績(こうせいせき)をのこしました。
 幕内生活5場所目の文化3年2月4日には、当時天下無敵(てんかむてき)といわれた大関(おおぜき)雷電為右衛門(らいでんためえもん)をたおして一躍(いちやく)有名になり、「雷電は雲の上にてゴロつくのに、音羽(おとわ)が山の下でゴロゴロ」という歌が語りつがれるようになりました。引退後(いんたいご)は年寄(としより)、音羽山(おとわやま)となり、弟子の育成につとめました。

資料・他(しりょう・ほか)

『目で見る泉崎村の歴史』
『関取音羽山物語-史上最強の雷電を破った男-』
『相撲の史跡4』 相撲史跡研究会発行 1985
『古今大相撲力士辞典』 景山忠弘・小池謙一編著、国書刊行会

主な業績(おもなぎょうせき)

  • 初土俵
    寛政8年3月
  • 入幕
    文化元年3月場所
  • 最終場所
    文化11年4月場所
  • 最高位
    前頭(まえがしら)3枚目
  • 幕内在位
    21場所(66勝57敗6分6預2無)

のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)

 亡くなった後、泉崎村内の旧道ぞいに石碑(せきひ)が建てられ、江戸相撲一行が東北に来た際はかならず参拝(さんぱい)したといいます。現在は駅前の資料館にうつされています。

関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)

  • 雷峰右衛門の碑(ひ)
    文政3年庚辰年(かのえたつのとし)5月20日建立

副読本(ふくどくほん)

関連文献(かんれんぶんけん)

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    その他(そのほか)

    教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

    泉崎村

    音羽山峯右衛門

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