

郷土開発(きょうどかいはつ)
石川(関下)秀富(いしかわひでとみ)

地域(ちいき):
県北地域(けんぽくちいき)市町村(しちょうそん):
本宮市(もとみやし)カテゴリー:
郷土開発(きょうどかいはつ)生没年:
1544~1625時代:
室町時代(むろまちじだい)~江戸時代(えどじだい)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
二本松畠山氏(はたけやまし)の子孫(しそん)です。二本松畠山義国(よしくに)から石川原(いしがわら)の土地を与えられ、五百川流域(ごひゃくがわりゅういき)の開発(かいはつ)にあたりました。
永禄7(1564)年、五百川左岸(さがん)の苗代田村岩色(なわしろたむらいわいろ)に用水堰(ようすいせき)【生活に使われる水をせきとめておく所】を計画し、神座(しんざ)まで約1,700mの用水路を開発し、荒れた地を耕作地(こうさくち)に変えました。次の年には石川原の地名をあらためて関下村(せきしたむら)とし村を開きました。
岩色用水は後の秀富(ひでとみ)の子孫の宗富(むねとみ)、義富(よしとみ)、直富(なおとみ)らによって延長(えんちょう)され、江戸時代には本宮町西部の広大な土地の開発におおいに役立ち、開かれた水田をうるおしました。
資料・他(しりょう・ほか)
『本宮町史 1巻』583ページ『本宮町史 2巻』280ページ
『奥州探題畠山氏と其裔五百川流域の開発者』 曽我伝吉著
『図説本宮の歴史』
主な業績(おもなぎょうせき)
- 五百川流域の開発者で岩色用水堰をつくりました。
- 関下村を開きました。
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
岩色用水はその後延長され、本宮町西部、五百川流域を豊かにし、本宮町発展の基礎となりました。関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
- 墓地(ぼち)
関下村開発者石川(関下)氏の一族の墓地があります。 旧本宮町教育委員会が建てた案内板が立っています。
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
- 本宮市立歴史民俗資料館
現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

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