文化財(ぶんかざい)
梁川城跡(やながわじょうあと)
地域(ちいき):
県北地域(けんぽくちいき)市町村(しちょうそん):
伊達市(だてし)カテゴリー:
文化財(ぶんかざい)
紹介説明(しょうかいせつめい)
梁川城跡(やながわじょうあと)は、高台の部分が南北600m×東西200m。西側の平地の部分は南北300m×東西200mの平山城(ひらやまじょう)です。
梁川城は、鎌倉時代のはじめに伊達氏(だてし)によって築(きず)かれたと伝えられます。特に11代持宗(もちむね)から14代稙宗(たねむね)までは、この梁川城に伊達家(だてけ)の本拠(ほんきょ)がおかれていました。
戦国時代の終わりになると、梁川城は伊達氏から蒲生氏(がもうし)を経(へ)て、上杉氏(うえすぎし)の領地(りょうち)となりました。寛文(かんぶん)4(1664)年に上杉氏が去った後は、江戸幕府(えどばくふ)の直接支配(ちょくせつしはい)と大名支配(だいみょうしはい)がくり返され、文化4(1807)年から文政(ぶんせい)4(1821)年まで北海道の松前藩(まつまえはん)の領地となりました。
梁川城跡は、本丸(ほんまる)部分が「伊達市梁川遺跡群(だてしやながわいせきぐん)」として国史跡(しせき)の指定を受けており、庭園「心字の池(しんじのいけ)」が県指定の名勝(めいしょう)となっています。
資料・他(しりょう・ほか)
『梁川町史』第4巻「自然・考古」、第10巻「文化・旧町村沿革」
『梁川町の文化財』
詳しく調べるために(くわしくしらべるために)
<詳しい情報の入手先>・伊達市教育委員会 電話:024-573-5804
<直接現地へ行くまでの交通案内>
・阿武隈急行「やながわ希望の森公園前駅」下車、徒歩10分
その他(そのほか)
・伊達氏梁川遺跡群:国指定史跡(令和元年10月16日指定)・梁川城跡及び庭園:県指定史跡及び名勝(昭和57年3月30日指定)
関連ホームページ(かんれんホームページ)
※関連(かんれん)する項目(こうもく)を表示(ひょうじ)しています。
クリックするとその項目のページへジャンプします。