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文化財(ぶんかざい)

旧梁川亀岡八幡宮並びに別当寺境域(八幡神社)(きゅうやながわかめおかはちまんぐうならびにべっとうじけいいき(はちまんじんじゃ))

  • 地域(ちいき)

    県北地域(けんぽくちいき)
  • 市町村(しちょうそん)

    伊達市(だてし)
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紹介説明(しょうかいせつめい)

文治(ぶんじ)5年(1189年)、奥州合戦(おうしゅうかっせん)での手がらにより源頼朝(みなもとのよりとも)から伊達郡を賜(たまわ)った中村朝宗(ともむね)は、常陸(ひたち)の国からこの地にうつり住み「伊達氏」を名乗るようになります。
 朝宗は現在の保原町高子(たかこ)に住み、敷地(しきち)内に亀岡八幡宮をまつり、鎌倉の鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)から分霊(ぶんれい)【神社の神様の霊を分けること】をうつしました。以後、八幡神社は伊達家の神様として信仰(しんこう)されます。
 室町時代のはじめに伊達家が梁川にうつると、八幡神社も梁川の現在地にうつされ、天文(てんぶん)元年(1532年)ごろ、伊達稙宗(たねむね)の代に桑折へうつると、八幡神社も桑折にうつされ、伊達家の領地(りょうち)がうつるたびに、八幡神社も各地を転々としました。
 天正(てんしょう)10年(1582年)には、伊達政宗(まさむね)が梁川の亀岡八幡神宮に戦勝祈願(せんしょうきがん)のお参りをしました。
 八幡神社の周辺(しゅうへん)は福島県の史跡(しせき)および名勝(めいしょう)として指定を受けています。

資料・他(しりょう・ほか)

『梁川町史』
 第10巻「文化・旧町村沿革」
 第11巻「くらし」
『梁川町の文化財』

詳しく調べるために(くわしくしらべるために)

<詳しい情報の入手先>
・伊達市教育委員会 電話:024-573-5804

<直接現地へ行くまでの交通案内>
・阿武隈急行「やながわ希望の森公園前駅」下車、徒歩20分

その他(そのほか)

  • 県指定史跡・名勝(昭和62年3月27日指定)

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