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その他(そのほか)

鏡沼跡(かがみぬまあと)

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    鏡石町(かがみいしまち)
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紹介説明(しょうかいせつめい)

 鎌倉時代の悲しい伝説(でんせつ)に由来(ゆらい)する鏡沼は、別名「かげ沼」ともよばれ、現在はそのおもかげをわずかにのこす沼の跡(あと)が、田園の中にひっそりとたたずんでいます。古い文献(ぶんけん)によれば、この沼には蜃気楼(しんきろう)が起きると言われ、松尾芭蕉(まつおばしょう)も『奥の細道』の中で、『かげ沼という所をいくに、今日は空曇りて物影うつらず』と、期待した“物影”が見られなかった心残りを記しています。

【鏡沼の伝説】
 鎌倉時代。都(みやこ)の若武者(わかむしゃ)・和田平太胤長(わだへいたたねなが)は、時の執権(しっけん)・北条時政(ほうじょうときまさ)をたおして政治を変えようと考えました。
 しかし、計画は事前(じぜん)に知られてしまい、胤長(たねなが)は遠く奥州岩瀬(おうしゅういわせ)の地へ流されてしまいました。鎌倉に残された胤長の妻・天留(てる)は、夫への思いをこらえきれず、夫のあとを追ってひとりで奥州(おうしゅう)へ向かいました。
 何日も歩きつづけ、ようやく鏡石(かがみいし)へとたどりついた天留をまっていたのは、夫の非業(ひごう)の死でした。悲しみに打ちのめされた天留は、もはや生きるのぞみはないと、沼に身を投げたのです。
 この時、彼女が胸に抱いていた鏡は、今でも水底からかなしげな輝(かがや)きを放ち続けているといわれています。

資料・他(しりょう・ほか)

『鏡石町の文化財』鏡石町文化財保護審議会 編集・発行

詳しく調べるために(くわしくしらべるために)

<詳しい情報の入手先>
・鏡石町教育委員会

<現地までの交通案内>
・東北自動車道「鏡石PAスマートIC」より車で約10分
・JR東北新幹線、東北本線「新白河駅」より約35分

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