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医学・科学(いがく・かがく)

蛭田玄仙(ひるたげんせん)

  • 地域(ちいき)

    県南地域(けんなんちいき)
  • 市町村(しちょうそん)

    鮫川村(さめがわむら)
  • カテゴリー:

    医学・科学(いがく・かがく)
  • 生没年:

    1745~1817
  • 時代:

    江戸時代(えどじだい)~江戸時代(えどじだい)

人物紹介(じんぶつしょうかい)

蛭田玄仙(ひるたげんせん)は、「東翁(とうおう)」とも言い、江戸時代延享(えんきょう)2年(1745年)現在の鮫川村大字渡瀬の農家に生まれました。当時は、飢饉(ききん)で村の人たちの生活はまずしく、子どもが生まれても育てることができないため、生まれたばかりの赤んぼうの命をないものにすること(間引き)が行われていました。そのうえ、子どもを生むのに苦しんで、母親が自分の命をなくすことも多くありました。こういう人々の姿を見て、玄仙は「何とかして自分に赤ちゃんが生まれ、丈夫に育てることができないものか」と強く思い、決心して自分の力で熱心に勉強し、工夫を重ねてついに蛭田流のお産の方法を打ち立てました。そして、玄仙はそれを広く行われるようにするため、日本の全国各地を歩き、たくさんの母と子の命を救い、「安産(あんざん)」の神様とまで言われて尊敬(そんけい)されました。
 玄仙の医者としての数々の研究や方法は、その弟子たちの手によって書き残され、今も産科の医学の上で大切なものとして役立っています。

資料・他(しりょう・ほか)

『鮫川村史』

主な業績(おもなぎょうせき)

産科医

のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)

「安産」の神様

関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)

「東翁蛭田玄仙先生の碑」渡瀬観音寺

副読本(ふくどくほん)

関連文献(かんれんぶんけん)

詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)

鮫川村教育委員会 生涯学習係
電話:0247-49-3151

現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)

福島交通バス(塙・鮫川線)渡瀬バス停下車 5分

教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

鮫川村教育委員会 生涯学習係
電話:0247-49-3151
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