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その他(そのほか)

中野竹子(なかのたけこ)

  • 地域(ちいき)

    会津地域(あいづちいき)
  • 市町村(しちょうそん)

    会津坂下町(あいづばんげまち)
  • カテゴリー:

    その他(そのほか)
  • 生没年:

    1850~1868
  • 時代:

    江戸時代(えどじだい)~明治(めいじ)

人物紹介(じんぶつしょうかい)

中野竹子(なかのたけこ)は会津藩士中野平内(なかのひらうち)の娘として生まれました。資質(ししつ)に恵まれ、容姿端麗(ようしたんれい)、才智(さいち)にすぐれ文武両道(ぶんぶりょうどう)に通じ、詩文和歌(しぶんわか)などの文才(ぶんさい)もあり、たびたび藩の賞美(しょうび)をうけ典型的(てんけいてき)な会津女子としての教えを守りました。その反面(はんめん)、ものやわらかな美しさややさしさにあふれていたといわれています。
 明治元年八月戊辰戦争(ぼしんせんそう)で、柳橋(やなぎばし)の戦いにいどみ、男子顔負けの戦いをしましたが、戦いむなしく西軍がはなった弾丸(だんがん)に倒れました。その首級(しゅきゅう)は次の朝、農兵(のうへい)により坂下(ばんげ)に持ち帰られ、後に坂下町曹洞宗法界寺(そうとうしゅうほっかいじ)に埋葬(まいそう)されました。

資料・他(しりょう・ほか)

主な業績(おもなぎょうせき)

のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)

竹子のほこり高き精神は今も受けつがれ、現在も坂下町では毎年墓前祭(ぼぜんさい)が行われています。

関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)

・中野竹子女子像/平成4年、顕彰会(けんしょうかい)により建立

・中野竹子殉節(じゅんせつ)の地碑

・中野竹子の墓/会津坂下町 法界寺(ほっかいじ)

副読本(ふくどくほん)

関連文献(かんれんぶんけん)

詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)

  • 中野竹子顕彰会【会津若松市】
  • 小竹会

現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)

  • 中野竹子の墓
    JR只見線「会津坂下駅」より徒歩6分

その他(そのほか)

教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

中野竹子

墓前祭の様子

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