郷土開発(きょうどかいはつ)
佐藤新右衛門(さとうしんえもん)
地域(ちいき):
県北地域(けんぽくちいき)市町村(しちょうそん):
桑折町(こおりまち)カテゴリー:
郷土開発(きょうどかいはつ)生没年:
~1637時代:
江戸時代(えどじだい)~江戸時代(えどじだい)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
江戸時代初期、現在の伊達郡の西の方は、西根郷(にしねごう)とよばれ、土地は肥(こ)えていましたが、阿武隈川(あぶくまがわ)より高い位置にあったため水を引くことができませんでした。そのため、農民は日照り(ひでり)に苦しみ、水田の開発(かいはつ)もおくれていました。
1618年、西根郷の村役人だった佐藤新右衛門(さとうしんえもん)が中心となり、湯野の摺上川(すりかみがわ)から、桑折(こおり)、伊達崎までの約13kmの土地を開いて用水路(ようすいろ)を通しました。これが現在の西根堰下堰(にしねぜきしたぜき)です。
さらに1624年、佐藤新右衛門は、代官古河善兵衛重吉(ふるかわぜんべえしげよし)に協力し、さらに上流の穴原から五十沢(いさざわ)までの西根堰上堰(うわぜき)の工事を始め、1633年に完成しました。西根堰上堰、下堰の完成により、この地方は安心して米作りができるようになり、新しい水田が次々と開墾(かいこん)されていきました。
資料・他(しりょう・ほか)
『桑折町史1』『桑折学のすすめ~郷土愛を育むために~』
主な業績(おもなぎょうせき)
西根堰上堰(にしねぜきうわぜき)、下堰(したぜき)開さくの中心となりました。のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
西根堰上堰、下堰開さくにより、この地方の水不足の心配はなくなり、新田開発が進みました。西根堰上堰、下堰は現在もこの地方の農業用水として重要な役割をはたしています。関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
- 西根神社
明治18(1885)年、西根堰両堰の恩恵(おんけい)を受けた堰下の村々の総意により、古河善兵衛(ふるかわぜんべえ)と佐藤新右衛門を祭神としてまつり、建てられました。
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
- 桑折町教育委員会
- 伊達西根土地改良区
- 西根神社
現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
- 現在の下堰の取水口
「福島駅」より福島交通飯坂線 「飯坂温泉駅」下車
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)
- 堰東京都祗園囃子(せきひがしきょうとぎおんばやし)
- 旧伊達郡役所(きゅうだてぐんやくしょ)
- 佐藤新右衛門(さとうしんえもん)
- 半田沼の赤べこ(はんだぬまのあかべこ)
- 半田山自然公園(はんだやましぜんこうえん)
- 無能寺御蔭の松(むのうじみかげのまつ)
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