産業・経済(さんぎょう・けいざい)
大橋哲彌(おおはしてつや)
地域(ちいき):
県北地域(けんぽくちいき)市町村(しちょうそん):
川俣町(かわまたまち)カテゴリー:
産業・経済(さんぎょう・けいざい)生没年:
1881~1917時代:
明治(めいじ)~大正(たいしょう)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
大橋哲彌(おおはしてつや)【旧姓半沢】は1881年に松川町に生まれました。福島中学【旧制】を主席(しゅせき)で卒業したあと、川俣小学校の理科の先生になりました。その頃、川俣町の大橋家に下宿していました。その下宿先の兵蔵(へいぞう)に見込まれ、娘の婿(むこ)になりました。
哲彌は1905年に学校の先生をやめ、織機(しょっき)の発明に取り組みました。そんな時、兵蔵の三男、秀三(ひでぞう)が旧制中学校を卒業し川俣町に帰って来ました。哲彌は理科が得意(とくい)で、秀三は数学が得意でしたので力をあわせ力織機(りきしょっき)の開発に取り組みました。そして、1908年に大橋兄弟式力織機(おおはしきょうだいしきりきしょっき)をついに完成させました。
資料・他(しりょう・ほか)
『川俣町史』『社会科副読本「かわまた」』
主な業績(おもなぎょうせき)
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
力織機の発明によって、織物も家内工業(かないこうぎょう)から工場(こうじょう)になり、生産量もふえ、織機工場で働(はたら)く人もふえてきました。川俣羽二重(はぶたえ)【絹織物(きぬおりもの)】の名が各地に広まりました。また、力織機の広まりは福島県だけでなく、各地の織物生産地にも大きな変革をもたらしました。現在「おりもの展示館」に数少ない1台が展示されています。関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
おりもの展示館副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
川俣町在住 大橋俊雄【入夫先(にゅうふさき)】現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
- おりもの展示館
住所:伊達郡川俣町大字鶴沢字東13-1 電話:024-565-4889 東北自動車道「福島西IC」、「二本松IC」からそれぞれ20km JR東北新幹線「福島駅」から18km
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)
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