郷土開発(きょうどかいはつ)
荒 至重(あらむねしげ)
地域(ちいき):
相双地域(そうそうちいき)市町村(しちょうそん):
南相馬市(みなみそうまし)カテゴリー:
郷土開発(きょうどかいはつ)生没年:
1826~1909時代:
江戸時代(えどじだい)~明治(めいじ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
荒至重(あらむねしげ)は1826年9月に奥州中村藩士(おうしゅうなかむらはんし)の荒喜左衛門(あらきざえもん)の子どもとして相馬市中村に生まれました。15歳で和算(わさん)【江戸時代に関孝和(せきたかかず)などにより独自(どくじ)に発展(はってん)した昔の数学】をきわめました。至重の才能(さいのう)に藩はおどろき、江戸の関流(せきりゅう)和算家の弟子にました。至重はここでも算術(さんじゅつ)・天文の研究(けんきゅう)をきわめました。1850年中村藩に戻ったのち、二宮尊徳(にのみやそんとく)に付き添い二宮仕法(にのみやしほう)の勉強をします。1857年に北郷【鹿島町】の代官(だいかん)に命じられ、水不足をなくすため、測量(そくりょう)の技術(ぎじゅつ)をつかってため池や用水路をつくったり、直したりすることに力をつくしました。二宮仕法を技術面で実践(じっせん)した人物です。「量地三略(りょうちさんりゃく)」などの著書(ちょしょ)も全国的に発行し、当時の測量技術に役立てられました。
資料・他(しりょう・ほか)
『荒至重先生小伝』田原口瑛蔵『相馬中村藩と荒至重』熊耳敏(くまがみさとし)
主な業績(おもなぎょうせき)
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
- 七千石堰(しちせんごくぜき)の改修工事によって、水不足がなくなり、稲作の生産が安定しました。
- 大正10年に南右田神社(みなみみぎたじんじゃ)がたてられ、荒至重が祭神(さいじん)として、まつられています。
関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
- 南右田神社
大正10年に建立されました。 祭神としてまつっています。 住所:鹿島区南右田字榎内(えのきうち) - 測量用具
(そくりょうようぐ)
鹿島歴史民俗資料館に展示(てんじ)・保管(ほかん)されています。 - 量地三略
(りょうちさんりゃく)
鹿島歴史民俗資料館に展示・保管されています。
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
鹿島歴史民俗資料館 電話:0244-46-4281南相馬市博物館 電話:0244-23-6421
現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)
- 南柚木の神楽舞(みなみゆぬきのかぐらまい)
- 浦尻貝塚(うらじりかいづか)
- 梵天大滝(ぼんてんおおたき)
- 相馬野馬追(そうまのまおい)
- 大曲駒村(おおまがりくそん)
- 南屋形の田植え踊り(みなみやかたのたうえおどり)
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