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伝承昔話(でんしょうむかしばなし)

柳津のはだかまいり(やないづのはだかまいり)

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    伝承昔話(でんしょうむかしばなし)

紹介説明(しょうかいせつめい)

 青く帯(おび)のように流れる只見川(ただみがわ)を見下ろして、日本三虚空蔵(にほんさんこくぞう)のひとつ、福満虚空蔵(ふくまんこくぞう)がそびえています。この福満虚空蔵(ふくまんこくぞう)には、正月七日の夜、子の刻(こく)【夜の12時】に打ちならされる鐘(かね)の音を合図に、ふんどし一つの信者(しんじゃ)たちがかけ声も勇ましく集まり、菊光堂(きっこうどう)中央のワニ口に登る、有名な裸参り(はだかまいり)【七日堂(なのかどう)】とよばれる行事があります。この裸参りには、次のような言い伝えがのこされています。
 
 今から千年あまりの昔のことである。この地方の村々に、たいへん悪い病気が流行した。たくさんの村人がこの病気にかかり、死ぬ人があとをたたなかった。
 人々はいろいろ手をつくしたが、一向(いっこう)にきき目がなく、ただ、神や仏にいのるばかりであった。
 そんなある日のこと、村人たちに、福満虚空蔵尊(ふくまんこくぞうそん)のおつげがあった。
「只見川のほとりにある亀石(かめいし)とよばれる岩のおくに、龍宮(りゅうぐう)というところがある。そこに、光りかがやく宝(たから)の玉【宝照(ほうしょう)の玉】があり、それを取ってくれば、悪い病気はたちまち村々からすがたを消してしまうだろう。」
 このおつげを聞いて村人たちは大変よろこんだ。さっそく、だれが龍宮に宝照の玉を取りに行くのか、相談(そうだん)が始まった。なにせ龍宮では、龍宮の主、龍神(りゅうじん)が宝照の玉を守っている。どんな苦労(くろう)や困難(こんなん)があるかわからない。よほど知恵(ちえ)がすぐれ、勇気(ゆうき)のあるものでないと、龍宮から宝照の玉をとってくることはむずかしい。村人たちの相談は、いく日にもわたって続けられた。相談のけっか、この地方で一番知恵がすぐれ、美人と評判(ひょうばん)の高い弥生姫(やよいひめ)に白羽(しらは)の矢が立てられた。村人たちの苦しみを見かねた弥生姫は、龍宮に行くことをこころよく引き受けた。
 あらゆる困難を乗りこえて、姫(ひめ)は宝照の玉を手に入れ無事にもどってきた。さっそく、宝照の玉を虚空蔵尊にささげると、ふしぎなことに村々から悪い病気は消えさり、もとの平和なくらしがおとずれた。
 こうして数年がたった。この間、宝照の玉のおかげで、村人たちは安らかな生活を送ることができた。しかし、この地方の村々にふたたび危機(きき)がせまってきた。龍宮の主、龍神が、宝照の玉を取りもどそうとしたのである。龍神は魔力(まりょく)を使って村人たちに、宝照の玉を引きわたすように約束(やくそく)させてしまった。引きわたす日は正月の七日、しかも、その日のうちで一番しずかな真夜中をえらんだ。正月の七日は、一日、一日とせまり、村人たちは、ひたいを集めて相談した。
「平和と健康と幸福(こうふく)をもたらす宝照の玉を失っては、この世はまっ暗やみになり、ふたたび悪い病気や災害(さいがい)がおとずれるだろう。なんとかして、龍神から宝照の玉を守らなければ。」
 相談を続けているうちに、心配した信者たちが続々と集まってきた。岩代(いわしろ)はもちろんのこと、越後(えちご)、磐城(いわき)、遠くは奥羽(おうう)、関東の辺りからも宝照の玉を守るためにはせ参じてきた。
 こうして正月の七日がやってきた。信者たちは家々で合図のかねがなるのを待っていた。夜がふけて、子(ね)の刻(こく)になった。お堂から打ちならされる一番かねがやみをぬって四方の山々にひびきわたった。信者たちは、ふんどし一つのはだかになり、「わっしょい、わっしょい。」のかけ声も勇ましく、お堂を目指してかけ登った。そして、菊光堂(きっこうどう)の中央のワニ口につき進み、綱(つな)を登ろうと勇ましくもみ合った。堂内では、それに合わせて祈とう(きとう)も続けられた。
 やがて約束の丑三つ時(うしみつどき)となった。亀石の上に龍神がぬっとすがたをあらわし、はるか虚空蔵尊の方を見わたした。するとどうであろうか。正月七日のしかも一番しずかな真夜中であるはずなのに、大変な人の波である。村々にはかがり火がたかれ、まるで昼のように明るく、数万にものぼる人々がひしめき合っている。勇ましいかけ声が遠く近くにひびき、虚空蔵尊を中心にもえ上がる炎(ほのお)のような熱気があたり一面をおおっている。
 龍神もさすがにおどろいてしまった。一年中でもっともしずかな夜である今夜でさえ、このありさまである。まして、ほかの日はどんなであろう。用心にこしたことはない。来年また出直すより仕方あるまい。龍神は、只見川のおく深くすがたを消してしまった。
 魔力(まりょく)を使うおそろしい龍神を追いはらった信者たちは、どっと勝どきを上げ、ふりしきる雪の中をおどりくるった。堂内の祈とうも最高潮(さいこうちょう)に達し、村々は、よろこびに包まれた。このとき、菊光堂の屋根(やね)の上から人々の幸福を願う牛王(ごおう)【ナラのズイ木】の矢が365本まかれ、信者たちはわれ先にひろいあった。
 こうして、人々は信こうと団結(だんけつ)の強さをさとった。おたがいの心を合わせれば、どんな困難も乗りきる自信を持ったという。以来、裸参りはずっと続けられている。

資料・他(しりょう・ほか)

『福島の伝説』 福島県国語教育研究会編集

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<現地へ行くまでの交通案内>
福満虚空蔵圓蔵寺
・JR只見線「会津柳津駅」より徒歩7分

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