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伝承昔話(でんしょうむかしばなし)

民話「常姫物語」(みんわ「つねひめものがたり」)

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    会津美里町(あいづみさとまち)
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    伝承昔話(でんしょうむかしばなし)

紹介説明(しょうかいせつめい)

 大沼郡佐布川村(おおぬまぐんさぶかわむら)【今の会津美里町】に江川常俊(えがわつねとし)という豪農(ごうのう)が住んでいた。土地の人々は長者とよび、何不自由のない生活であったが、子宝(こだから)にめぐまれなかったため、当時会津の霊場(れいじょう)である雀林法用寺(すずめばやしほうようじ)の十一面観音(じゅういちめんかんのん)にお願いした。その夜、妻(つま)は菩薩(ぼさつ)にゆり起こされる夢(ゆめ)を見てみごもり、一人の女子をもうけた。夫婦(ふうふ)のよろこびは大変なものだった。名を常姫(つねひめ)・幼名(ようめい)は千歳(ちとせ)と名付けた。大事に育てたかいがあり、とてもきれいで美しい姫(ひめ)に成長した。
 文永(ぶんえい)10(1273)年に17才の春をむかえ、そのお礼参り(おれいまいり)にと、法用寺(ほうようじ)の虎の尾桜(とらのおざくら)【会津五桜(あいづござくら)の一つ】が満開(まんかい)の時に姫を美しく着かざらせ、お参りした。そのころ、中田(なかた)の舘主(かんしゅ)富塚伊賀守(とみつかいがのかみ)盛勝(もりかつ)も、今をさかりの花をみようと、法用寺にお参りに来ていた。盛勝二十才。大変すがたの美しい若殿(わかとの)と会った常姫は、屋敷(やしき)に帰り恋(こい)の病で床(とこ)にふす事となった。常俊夫婦は色々と手をつくしたが、文永10年8月17日ついに黄泉(よみ)の客となった【なくなってしまった】。夫婦はたいへん悲しみ泣きつづけていたが、やがて意を決し、常姫の菩提(ぼだい)をとむらうために常姫と同じ大きさの観音尊像(かんのんそんぞう)をつくる事にした。容易(ようい)に鋳型(いがた)にはまらず困難(こんなん)をきわめたが、夢にあらわれた白衣(はくい)の聖人(せいじん)が、鋳型のつくり方や、型に流しこむ金属(きんぞく)をとかす方法を教えてくれたという。
 盛勝はむすめの死をいたみ、供養(くよう)のために千歳の名を付けた桜(さくら)を植えた。

資料・他(しりょう・ほか)

詳しく調べるために(くわしくしらべるために)

<現地までの交通案内>
法用寺
・JR只見線「根岸駅」より徒歩30分

その他(そのほか)

関連ホームページ(かんれんホームページ)

ムービー

米沢の千歳ザクラ

観音像

弘安寺

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