

医学・科学(いがく・かがく)
吉田富三(よしだとみぞう)
地域(ちいき):
県中地域(けんちゅうちいき)市町村(しちょうそん):
浅川町(あさかわまち)カテゴリー:
医学・科学(いがく・かがく)生没年:
1903~1973時代:
明治(めいじ)~昭和(しょうわ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
シロネズミを使ったガンの研究を行い、「吉田肉腫(よしだにくしゅ)」を発見しました。
そのガン細胞(さいぼう)の発見は、その後のガン研究を飛躍的(ひやくてき)に発展(はってん)させ、化学療法(かがくりょうほう)の研究の糸口となりました。
文化勲章(ぶんかくんしょう)、勲一等旭日大授賞(くんいっとうきょくじつだいじゅしょう)など多くの賞を受けました。
昭和40年4月には浅川町名誉町民(めいよちょうみん)となりました。
資料・他(しりょう・ほか)
『癌細胞はこう語った』 吉田直哉著『あさかわまちが生んだ偉人』 吉田富三博士・内田稔翁編
浅川町教育委員会
『吉田富三医学論文集』【上、中、下】3巻
他、吉田肉腫に関する著書
主な業績(おもなぎょうせき)
昭和7年 ラットの肝臓(かんぞう)に人工的に癌(がん)を育成しました。昭和18年 癌細胞の生きている本当の癌細胞を発見。【吉田肉腫】
昭和27年 抗がん剤を作りました。【厚生省(こうせいしょう)指定第一号】
令和2年 吉田肉腫が国立科学博物館の未来技術遺産(みらいぎじゅついさん)に登録
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
○世界ではじめて人工癌の生成に成功しました。○がんの個性化の考えなどをとおして、癌細胞の究極のすがたといわれる吉田肉腫を発見しました。
○生きた癌細胞の研究が今の遺伝子研究の基礎をきずきました。
○吉田富三は良い医者の条件をとなえており、医療制度の改革(かいかく)にとりくみました。
○「医師は社会の優越者(ゆうえつしゃ)ではない。人間の心の医師にならなければいけない。」という医師のあり方をしめしました。
関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
○伝記『癌細胞はこう語った』を顕彰(けんしょう)事業の一環(いっかん)として発刊しました。
○児童生徒
吉田富三博士の副読本を小中学生にくばりました。
○研究遺跡(いせき)
細胞研究の資料をのこしました。
○吉田富三医学論文
医学論文集の著書(ちょしょ)で癌研究の筋道(すじみち)を立てました。
○吉田富三記念館
研究内容からプライベートにいたる資料までを展示(てんじ)しています。
○詩と随想集(ずいそうしゅう)
博士がノートなどに書き留めておかれた詩と随想(ずいそう)を集め書籍(しょせき)を発行しました。
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
- 吉田富三記念館
住所:石川郡浅川町大字袖山字森下287 電話:0247-36-4129 FAX:0247-36-4807
現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
- 吉田富三記念館
JR東北新幹線「郡山駅」から水郡線「磐城浅川駅」下車、車で約5分(徒歩約20分) JR東北新幹線「新白河駅」から車で約40分 東北自動車道「白河IC」から車で約45分
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)
浅川町教育委員会 電話:0247-36-2297
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