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教育(きょういく)

吉岡艮太夫(よしおかごんだゆう)

矢祭町
  • 地域(ちいき)

    県南地域(けんなんちいき)
  • 市町村(しちょうそん)

    矢祭町(やまつりまち)
  • カテゴリー:

    教育(きょういく)
  • 生没年:

    1830~1870
  • 時代:

    江戸時代(えどじだい)~明治(めいじ)

人物紹介(じんぶつしょうかい)

 吉岡艮太夫(よしおかごんだゆう)は幼いころの名前を勇平(ゆうへい)といい、矢祭町で1830年に生まれました。
 17歳のとき、故郷(こきょう)を出て、8年あまり苦労を重ね長崎奉行所牧志摩守邸(ながさきぶぎょうしょまきしまのかみてい)の祐筆(ゆうひつ)【記録文書を作成する役目】をつとめました。その仕事ぶりがみとめられ、めきめきと頭角(とうかく)をあらわしました。
 日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく)の批准書交換(ひじゅんしょこうかん)のため、日本はアメリカ艦船(かんせん)の使節(しせつ)を守る役目として、咸臨丸(かんりんまる)を共にサンフランシスコへ向かわせました。その際、吉岡艮太夫は勝海舟(かつかいしゅう)、福沢諭吉(ふくざわゆきち)らと咸臨丸に乗りこみました。吉岡は、使節団員の訓練(くんれん)を担当し、艦内(かんない)の総務(そうむ)、経理(けいり)にかかわる仕事をしました。
 一行が役目を果たして帰国した後は、幕臣一代(ばくしんいちだい)として、身を幕府のためにささげました。

資料・他(しりょう・ほか)

『咸臨丸』 吉岡勇平 昭和13年5月20日発行

主な業績(おもなぎょうせき)

のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)

関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)

副読本(ふくどくほん)

関連文献(かんれんぶんけん)

詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)

  • 矢祭町教育委員会
    電話:0247-46-4580

現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)

その他(そのほか)

教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

矢祭町

吉岡艮太夫

難航の咸臨丸 運用方 鈴藤勇次郎筆

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