

文化・芸術(ぶんか・げいじゅつ)
勝田蕉琴(かつたしょうきん)
地域(ちいき):
県南地域(けんなんちいき)市町村(しちょうそん):
棚倉町(たなぐらまち)カテゴリー:
文化・芸術(ぶんか・げいじゅつ)生没年:
1879~1963時代:
明治(めいじ)~昭和(しょうわ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
勝田蕉琴(かつたしょうきん)は、1879年に棚倉町で生まれました。本名は良雄(よしお)といいました。明治38(1905)年東京美術学校の日本画家選科(にほんがかせんか)卒業後、詩人タゴールにまねかれてインドに渡り、カルカッタ国立美術学校で東洋画(とうようが)を教えました。
明治40【1907】年に帰国し、同年の第1回文展に『降魔(ごうま)』『出城釈迦(でじろしゃか)』を出品したのをはじめとして、官展(かんてん)の中心画家としてかつやくし、審査員(しんさいん)もつとめました。
大正8(1919)年、東京に住んでいる福島県出身の日本画家を集め、福陽美術会(ふくようびじゅつかい)をつくり会長となりました。
戦後は、県展の創設(そうせつ)に力を入れ、福島県の日本画界の先頭となってかつやくしました。
資料・他(しりょう・ほか)
『反骨の日本画家勝田蕉琴展』図録 県立美術館発行『福島県史 第20巻 文化I』
主な業績(おもなぎょうせき)
『出城釈迦』『煙る小雨』など、多くの優れた作品がのこされています。のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
- 蕉琴筆塚
(ふでづか)
昭和2年、有志(ゆうし)により棚倉町馬場都都古和氣神社(ばばつつこわけじんじゃ)の境内(けいだい)に建てられました。
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
- 蕉琴筆塚
(馬場都都古和氣神社)
東白川郡棚倉町棚倉馬場 JR水郡線「岩城棚倉駅」から徒歩約15分
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)

- 希望のサクラ(きぼうのさくら)
- 勝田蕉琴(かつたしょうきん)
- 二柱神社のスギ(ふたはしらじんじゃのすぎ)
- 松平康英(まつだいらやすひで)
- 花園のコウヤマキ(はなぞののこうやまき)
- 都々古別神社の御田植(つつこわけじんじゃのおたうえ)
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