郷土開発(きょうどかいはつ)
入江新六郎(いりえしんろくろう)
地域(ちいき):
県南地域(けんなんちいき)市町村(しちょうそん):
中島村(なかじまむら)カテゴリー:
郷土開発(きょうどかいはつ)生没年:
1858~1937時代:
江戸時代(えどじだい)~昭和(しょうわ)
人物紹介(じんぶつしょうかい)
入江新六郎(いりえしんろくろう)は、1858年会津若松に生まれました。明治18年、新六郎は26歳頃から中島村の滑津原地区(なめつはらちく)を開いて、田畑にしました。福島大林区署より許可(きょか)を受け、さとうきびの栽培(さいばい)を行い、その後桑樹(そうじゅ)や各種の種苗(しゅびょう)の栽培にかえて、大正初期「入江農場(のうじょう)」の名を国内はもちろん、朝鮮満州(ちょうせんまんしゅう)にまで広げ、当時、日本一と言われました。
現在中島村は「緑花木の里(りょっかぼくのさと)」として苗木(なえぎ)の生産がさかんです。
資料・他(しりょう・ほか)
『中島村史』 中島村史編纂(へんさん)会『わたしたちの村なかじま』 中島村教育委員会
主な業績(おもなぎょうせき)
- 1926年
帝国耕地協会を設立し、全国理事となりました。 - 1928年
福島県に耕地協会を設立し、副会長をつとめ、土地改良事業連合会の基礎をつくりました。
のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)
県営農業水利改良事業(けんえいのうぎょうすいりかいりょうじぎょう)によって水利施設が整備され、農民のくらしが安定しました。関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)
- 入江新六郎翁之碑
(いりえしんろくろうおうのひ)
1956年、村人が偉業(いぎょう)をたたえるために建てました。
副読本(ふくどくほん)
関連文献(かんれんぶんけん)
詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)
- 中島村教育委員会
学校教育課
電話:0248-52-3483
現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)
- 入江新六郎翁之碑
「矢吹中央IC」より棚倉・水戸方面へ車で約10分
その他(そのほか)
教育委員会連絡先(きょういくいいんかいれんらくさき)
※関連(かんれん)する項目(こうもく)を表示(ひょうじ)しています。
クリックするとその項目のページへジャンプします。