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霊山
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紹介説明(しょうかいせつめい)

 約2,500万年前の火山活動によってできた、変わった形の岩(溶岩・ようがん)がそそり立つ高さ825mの神秘的な山です。秋には、切り立った黒い岩肌に紅葉が引き立ち、山全体が気高い(けだかい)雰囲気(ふんいき)に包まれます。
 山上にはかつて「慈覚大師(じかくだいし)」が平安時代に開いた「霊山寺(りょうぜんじ)」がありました。この霊山寺はたいへん大きく、「霊山寺縁起(りょうぜんじえんぎ)」によれば、3,600人の僧侶(そうりょ)が集まれる広さだったと伝えられています。現在も山の上には、寺の土台となっていた大きな石が数多くのこっています。
 南北朝(なんぽくちょう)の動乱(どうらん)の時代。建武(けんむ)4(1337)年1月8日、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の息子である義良親王(のりながしんのう)と北畠顕家(きたばたけあきいえ)たちは、多賀城(たがじょう)をすて、この霊山寺(霊山城)にうつりました。次の年、顕家は美濃国青野原の戦い(みののくにあおのがはらのたたかい)に勝ちますが、石津の戦い(いしづのたたかい)で21歳の若さで戦死します。
 建武(けんむ)4年から10年間、霊山城は「南朝奥州政府(なんちょうおうしゅうせいふ)」の大事な基地として力をもっていました。しかし霊山城は、貞和(じょうわ)3(1347)年に攻め落とされてしまい、広大な霊山寺の建物はすべて焼けてしまったと伝えられています。

資料・他(しりょう・ほか)

『霊山町史』

詳しく調べるために(くわしくしらべるために)

<詳しい情報の入手先>
・伊達市教育委員会 文化体育係

<現地までの交通案内>
・JR東北本線「福島駅」より車で60分・福島交通バス「掛田駅」停留所より車で20分
・阿武隈急行「保原駅」より車で30分

その他(そのた)

国指定史跡名勝

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