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教育(きょういく)

三浦弥平(みうらやへい)

伊達市(だてし)

1891〜1971

明治(めいじ)〜昭和(しょうわ)

三浦弥平氏
三浦弥平氏

一番左が三浦弥平氏
一番左が三浦弥平氏

オリンピック村事務管理棟(1932年頃)
オリンピック村事務管理棟(1932年頃)


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人物紹介(じんぶつしょうかい)

 三浦弥平(みうらやへい)は1891年4月、伊達郡白根(しろね)村【現在の伊達市梁川町白根】の大きな農家に生まれました。幼い頃の弥平は体は弱くとも強い意志(いし)の持ち主で、宮城県白石町の白石中学校【現在の宮城県立白石高校】に進学すると、病気に打ち勝つためにランニングや体力づくりにはげみました。そして、秋の運動会の1,000m走で優勝(ゆうしょう)したことがきっかけで陸上(りくじょう)の道へ進みました。
 早稲田(わせだ)大学入学後は多くの大会で活躍(かつやく)し、1920年の第7回アントワープオリンピックに出場。その後ドイツへ留学(りゅうがく)し、1924年の第8回パリオリンピックにも、マラソンの日本代表選手として連続(れんぞく)で出場し、福島県人初のオリンピック選手(せんしゅ)となりました。その後、故郷(こきょう)の白根村にもどり、ヨーロッパなどのスポーツ施設(しせつ)を見本としてオリンピック村をつくりました。
 戦後(せんご)は季節保育所(きせつほいくしょ)や体育公民館を開設(かいせつ)し、白根体育クラブを育てるなど、住民の体力増進(ぞうしん)と交流に大きく貢献(こうけん)しました。

資料・他(しりょう・ほか)

『梁川町史 第10巻「文化・旧町村沿革」』 梁川町 1994年
『−わたしたちの梁川町−社会科しりょう』 梁川町教育委員会
「三浦弥平」(ビデオテープ)

主な業績(おもなぎょうせき)

福島県初のオリンピックのマラソン選手です。
オリンピックを東京に誘致(ゆうち)するための運動をおこないました。
白根体育クラブを結成しました。

のちに与えた影響(のちにあたえたえいきょう)

 弥平から教えをうけた白根体育クラブは、多くの大会に出場し入賞をかさねました。1957年の第1回県北一周駅伝(えきでん)大会【一般の部】で優勝したのをはじめ、青森・東京間駅伝競走(きょうそう)大会や白河・福島間駅伝競走大会で活躍する選手もいました。

関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)

オリンピック村
・1932年頃、弥平が青少年の体力づくりやスポーツ振興をめざして、宮城県筆甫村【現在の宮城県伊具郡】に早稲田地内の村有林を使用してたてました。

詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)

伊達市教育委員会電話:024-577-3245

関連HPへ(かんれんホームページへ)

伊達市のHP

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