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教育・医学・科学(きょういく・いがく・かがく)

三浦謹之助(みうらきんのすけ)

伊達市(だてし)

1864〜1950

江戸時代(えどじだい)〜昭和(しょうわ)

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人物紹介(じんぶつしょうかい)

 三浦謹之助(みうらきんのすけ)は、幕末(ばくまつ)に高成田(たかなりだ)村【伊達市保原町】の眼科医(がんかい)の長男として生まれました。
 明治28年東京帝国大学医学部教授(いがくぶきょうじゅ)、医学博士(はかせ)となり、多くの医学生を世に送り出しました。明治36年に日本内科医学会をつくりました。大正7年には東京帝国大学付属病院長(ふぞくびょういんちょう)になり、大正13年東京帝国大学を退官(たいかん)しました。大正14年には日本内科医学会理事長をつとめ、昭和24年に文化勲章(ぶんかくんしょう)を受章(じゅしょう)しました。
 名医と評判(ひょうばん)が高かった三浦の元には、著名人(ちょめいじん)がきそって受診(じゅしん)におとずれたといいます。また宮内省御用掛医師(くないしょうごようかかりいし)として明治天皇や大正天皇を診察したことでも知られています。

資料・他(しりょう・ほか)

『三浦謹之助先生』 昭和39年
『医学者たちの150年』 1996年 三浦義彰著

主な業績(おもなぎょうせき)

 日本内科学会の創設に力をそそぎました。内科医療の研究業績もおおく、名医と評判のあった三浦は天皇の診察(しんさつ)もしていました。多くのすぐれた門弟を育てました。

関連する史跡・施設(かんれんするしせき・しせつ)

生家保原町高成田に当時の門や診察室がのこっています。
銅像昭和44年につくられました。
顕彰碑
(けんしょうひ)
昭和8年にたてられました。

詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)

保原歴史文化資料館

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