うつくしま電子事典

うつくしま電子事典
文化・伝統編人物編自然編 トップページへ
 

文化財(ぶんかざい)

下手渡藩陣屋跡(しもてどはんじんやあと)

県北地域(けんぽくちいき)

伊達市(だてし)

文化財(ぶんかざい)

下手渡藩陣屋跡と懐古之碑
下手渡藩陣屋跡と懐古之碑


関連記事

※関連(かんれん)する項目(こうもく)を表示(ひょうじ)しています。
クリックするとその項目のページへジャンプします。

 

紹介説明(しょうかいせつめい)

 現在の伊達市月舘町下手渡地区には、下手渡藩陣屋跡がのこっています。陣屋は、3万石以下の大名が構(かま)えたもので、下手渡藩陣屋は、九州三池藩(みいけはん)が下手渡村をふくむ9つの村から開きました。初代藩主(しょだいはんしゅ)は立花豊前守種善(たちばなぶぜんのかみたねよし)で、文化3(1806)年から藩主をつとめました。三代立花出雲守種恭(たちばないずものかみたねゆき)は、嘉永(かえい)2(1849)年に家を継(つ)ぎ、幕府大番頭(ばくふおおばんとう)、若年寄(わかどしより)、外国事務管掌(がいこくじむかんしょう)など幕府の重要な職についています。
 戊辰戦争(ぼしんせんそう)の時、下手渡藩はとても複雑(ふくざつ)な立場にありました。本家にあたる三池藩が西軍側(せいぐんがわ)となる中、下手渡藩周辺の多くの藩は仙台藩を中心とし、反西軍の同盟(どうめい)を結んで行きます。藩主種恭は三池に向かう途中、兵庫(ひょうご)で折り返して西軍に加わります。こうして藩主がいなくなってしまった中、下手渡藩はみずから陣屋に火をつけて撤退(てったい)したとされています。
 現在、下手渡藩陣屋は石垣(いしがき)など当時のすがたをのこし、戦(いくさ)のなごりを今に伝えています。

資料・他(しりょう・ほか)

『ふるさとの小径を行く』(下手渡藩陣屋跡と懐古之碑)

関連HPへ(かんれんホームページへ)

伊達市HPへ
関連HPへ

もどる