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観海堂
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紹介説明(しょうかいせつめい)

 観海堂(かんかいどう)は、明治5年に作られた学校です。それは、国が「それぞれの村に学校を作りなさい」と命令(めいれい)する学制公布(がくせいこうふ)が行われる直前でした。当時、宇多・亘理郡長助役(うだ・わたりぐんちょうじょやく)だった目黒重真(めぐろじゅうしん)が、「これからは教育が一番大切になる」と考え、なかま達54人と宮城県へ学校を作らせてほしいという文書を作りました。校舎(こうしゃ)は、北海道にうつり住んだ黒沢清之進(くろさわせいのしん)の空き家(あきや)を借りました。
 先生に、仙台藩(せんだいはん)の学校である養賢堂(ようけんどう)で先生をしていた、氏家晋(うじいえしん)をまねきました。学校を作るためのお金は、目黒重真が中心になって集め、教科書などのほかにも、学校の田んぼを買いました。そして、その田んぼから取れたお米を売って、学校を運営(うんえい)するお金にあてました。そのおかげで、生徒から授業料(じゅぎょうりょう)を取らずにすみました。
 言い伝えによれば、校内に入りきれずに外からのぞきこむ人が出るほど、たくさんの生徒がいたと言われています。この観海堂を卒業した人には、初代(しょだい)の台湾高等法院長(たいわんこうとうほういんちょう)だった高野孟矩(たかのたけのり)などがいます。

資料・他(しりょう・ほか)

『観海堂パンフレット』
『新地町史 資料編』
 新地町史編さん委員会編集・新地町教育委員会発行
『新地町史 歴史編』
 新地町史編さん委員会編集・新地町教育委員会発行
『福島県指定史跡 観海堂主屋保存修理工事報告書』
 新地町教育委員会編集・発行
『新地町の文化財ご案内』 新地町教育委員会編集・発行

詳しく調べるために(くわしくしらべるために)

<詳しい情報の入手先>
・新地町教育委員会 電話:0244-62-4477

<直接現地へ行くまでの交通案内>
・JR常磐線「新地駅」より北へ約400m

その他(そのた)

福島県史跡指定(昭和41年指定)

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