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文化・芸術(ぶんか・げいじゅつ)

蠣崎波響(かきざきはきょう)

伊達市(だてし)

1764〜1826

江戸時代(えどじだい)〜江戸時代(えどじだい)

蠣崎波響像 横浜市 蠣崎幹夫氏所蔵
蠣崎波響像 横浜市 蠣崎幹夫氏所蔵

蠣崎波響献納石灯籠
蠣崎波響献納石灯籠


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人物紹介(じんぶつしょうかい)

 蠣崎波響(かきざきはきょう)は1764年、松前藩主資廣(まつまえはんしゅすけひろ)の五男として松前城内(じょうない)で生まれました。父資廣は、波響が生まれて間もなく亡くなってしまったので、松前藩の家老(かろう)をつとめる蠣崎家の養子(ようし)となりました。
 えぞ地【現在の北海道】に18世紀後半からロシアが南下してくるようになり、これに危機感(ききかん)を感じた江戸幕府(ばくふ)は1807年、松前藩に梁川への国替(くにが)え【大名の領地(りょうち)を他に移し替えること】を命じ、えぞ地を直接支配(ちょくせつしはい)することとしました。
 波響は梁川にいた14年間、家老職としてとても忙しいなか、絵画や文学に親しみました。『梁川八景図(やながわはっけいず)』などこの地方の風景(ふうけい)や人物を題材に多くの作品を描くとともに、天神社(てんじんしゃ)に松前復領を毎日お願いしました。松前藩は1821年に江戸幕府から念願(ねんがん)の松前復領命令を受け、波響は翌年、天神社に願いがかなったお礼(れい)として石灯籠(いしとうろう)を寄付(きふ)しました。

資料・他(しりょう・ほか)

『梁川町史 第10巻「文化・旧町村沿革」』梁川町 1994年
『蠣崎波響の生涯』中村真一郎著 新潮社 1989年
『波響論集』 波響論集刊行會 1991年
『蠣崎波響展』図録 北海道立近代美術館 1979年

詳しい情報の入手先(くわしいじょうほうのにゅうしゅさき)

天神社電話:024-577-0227

現地へ行くまでの交通案内(げんちへいくまでのこうつうあんない)

天神社伊達市梁川町字上町10
阿武隈急行「やながわ希望の森公園前駅」下車
徒歩5分

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