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安積山(あさかやま)

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安積山
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紹介説明(しょうかいせつめい)

※安積山は、逢瀬町(おうせまち)の額取山(ひたいどりやま)をさす説と、日和田町(ひわだまち)の安積山をさす説とがあります。


●安積采女(あさかうねめ)と葛城王(かつらぎおう)●
 8世紀前半、貴族(きぞく)の葛城王が陸奥国(むつのくに)をおとずれたとき、もてなしが足りなかったため葛城王は不機嫌(ふきげん)になってしまいました。しかし、采女であった女性が『安積山の歌』をよんでもてなしたところ、機嫌がなおったと万葉集(まんようしゅう)に記されています。采女とは、天皇のそばに仕(つか)える役職(やくしょく)のことで、地方の郡司(ぐんじ)の姉妹や娘からえらばれました。
『安積山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を わが思はなくに』(万葉集)
歌の意味「安積山の影をうつす山の清水は、深くはないけれど澄んでいます。私たちはそのような清い心で精一杯(せいいっぱい)のもてなしをしているのです。」
それ以来、郡山ゆかりの歌として長く親しまれてきました。万葉集をもとに「うねめ伝説」が生まれたといわれます。


●「安積山(あさかやま)の歌木簡(もっかん)」の発見●
 2008年5月、万葉集によまれた歌の木簡が、全国で初めて滋賀県甲賀市(しがけんこうかし)の紫香楽宮跡(しがらきのみやあと)【奈良時代の都のひとつ】で発見されました。
 木簡とは、うすい木の札(ふだ)に墨で文字を書いたもので、当時は、朝廷(ちょうてい)や役所(やくしょ)の事務連絡(じむれんらく)や帳簿(ちょうぼ)、荷札(にふだ)として紙のかわりに使われていました。この時発見された木簡には、「うねめまつり」の由来(ゆらい)とされる「うねめ伝説」と深いかかわりのある万葉集の「安積山の歌(巻16の3807番)」が記されていました。
 「安積山の歌」は905年ごろに作られた古今和歌集(こきんわかしゅう)の序文(じょぶん)に、「難波津(なにわつ)の歌」とともに紀貫之(きのつらゆき)から「歌の父母(ちちはは)」とたたえられ、和歌の手本であると紹介(しょうかい)されています。
 742年からつくられた紫香楽宮の遺跡(いせき)から二首(にしゅ)そろった木簡が発見されたことにより、古今和歌集(こきんわかしゅう)が作られた約160年前からセットで親しまれていたことがわかる歴史的(れきしてき)な発見として注目されました。
 この「安積山の歌」にかかわる「うねめ伝説」が縁(えん)で、1971年8月5日に郡山市と奈良市は姉妹都市になりました。また、「うねめ伝説」は郡山の夏をいろどる「うねめまつり」として現在も受けつがれています。


●日和田町の安積山と花かつみ●
 「奥の細道」紀行で松尾芭蕉(まつおばしょう)と曾良(そら)がおとずれた安積山は、郡山市日和田町にあります。
 芭蕉はここで、古今集にもよまれたまぼろしの花「花かつみ」を探し歩いたけれど、残念ながら見つけることはできなかったといわれています。
 明治9年6月、明治天皇が東北をおとずれたとき、日和田の安積山のふもと・横森新田のご休息(きゅうそく)所で、「菖蒲(しょうぶ)に似て最(いと)些小(ちいさ)き花」なるヒメシャガを花かつみとして鑑賞(かんしょう)されました。以後、ヒメシャガが「花かつみ」とされ、昭和49年、郡山市の花に制定(せいてい)されました。
 現在、日和田町の安積山は安積山公園として整備され、奥の細道の碑(ひ)や花かつみ【学名:ヒメシャガ】の植栽(しょくさい)などがあります。

資料・他(しりょう・ほか)

『ふるさと郡山の歴史』中学生版(郡山市教育委員会刊行)

詳しく調べるために(くわしくしらべるために)

<詳しい情報の入手先>
・郡山市教育委員会
 学校教育課 電話:024-924-2431
 文化課 電話:024-924-2661

<現地までの交通案内>
・逢瀬町(額取山):東北自動車道「郡山IC」より車で20分
・日和田町:JR東北本線「日和田駅」下車、徒歩15分

関連HPへ(かんれんホームページへ)

郡山市HP
郡山市観光協会HP「郡山へ行こう!」

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